飯村隆彦のビデオ・アート

ダリル・チン

 ビデオ・アートがテレビとは性質の異なった特別のメディアとして存在するようになったのは1960年代からにすぎないが、ビデオのテクノロジー面の発達には目覚ましいものがある。おそらく映画も含めて他の芸術形式でこれほど確実に変化しているものはない。初期の白黒のリール・トウ・リールのポータバック形式から様々な形式(ベータカム、VHS、ビデオ8など)に至るまで、ビデオは技術的な高度化を発達させる一方で、気軽に誰でも使えるものとして扱われて来た。そのテクノロジーの発展によって、家庭用機材は放送のレベルに近づくほどに発達し、ビデオ・アートはアーティストのテレビというものになった。ビデオ・アートと現在認識されているものの大部分は過去五年間、マス・メディアとしてのテレビ議論に関わっていた。

 ここで重要なことは、テレビという観点から見ると、先の20年もの間ビデオの本質ははなはだしく不明瞭で無定形であったということである。ビデオ・アートには様々なアプローチの方法があった。その一つは、形象を巧みに処理する道具としてシンセサイザーやコンピュータを使用するというテクノロジーの面。もう一つは異なった現実を示すための即時のフィードバックを使用するという、パフォーマンスの面。さらに、設置メディアとして使用できるという彫刻的な面である。ビデオは他のメディアや芸術形式との合体が可能であり、多くのアーティストがビデオのその特性に魅了されたのである。1960年代初期から、飯村隆彦は、日本出身の非商業映画のアーティストを代表する一人として活躍している。1970年代に入って彼の作品のコンセプトは大きく転換した。「フィルム.ストリップス I」(1969), 「フィルム・ストリップスII」(1969)、「1から100まで数える、また10XS」(「モデルズ(リール2)」(1972の一部)、「1秒24 コマ」(1978)といった作品は、時間と空間の意識を研究する手段として視覚と聴覚、数える過程に焦点を当てた優雅な知覚映画である。例えば「1から100まで数える、また10XS」はフレーム内に数字が登場し、次に"X"無地、数字、無地という具合にヴァリエーションが展開される。これらの連続性と、その時間的な次元とを鋭く知覚していくことによって、観客とこの作品に熱中していくようになる。 フレームに数字と記号を記すという最もシンプルな方法を通して、飯村は映画的経験の物質的な制約を強調することができたと言える。

 飯村の概念主義が、同じ試みをしている他の映画作家と時を同じくして起こったということは重要である。彼等はしばしば“反幻想家”と思われるアプローチに向かう傾向を示したが、飯村の場合、彼の反幻想主義はイマジスム否定に基づいていた。飯村の作品に関して著しいものは、写真的映像を使用せずに、なおかつアニメーションに向こうことなく作品を作る、という彼の決意である。映画の概念性に関するこの強調、つまり暫時性と連続性の強調は、1970年代から彼の作品に登場するようになった。1970年代中頃までに、ビデオに対する飯村の興味は、統語論的配列に焦点をあてた作品シリーズへと発展した。この時代について飯村は次のように書いている。「過去、数年の間、私は言語とビデオの構造的な関係を研究してきた。この場合の言語とは、英語を基礎として考えていたが、当然ながら日本語がつにね頭にあった。ビデオは比較言語学の研究を行うにはユーニークなシステムである。映像と音を同時的に記録することが可能であり、その(自己参照的である)クローズド・サーキットのシステムでは、カメラ(観察者)はモニター(被写体)によってフィード・バックされる。したがってモニター上の映像は撮影された対象(目的語)を示すばかりではなく、撮影している観察者をも示すことができる。これは、文章にも似た構造を形成するものである。言語において私がかかわることも、(すでに挙げた例が示すように)対象としての単語ではなく、ひとつの文であり、その構造である。」1、単純なようだが、飯村はビデオの持つ特別な技術的側面(映像と音の同時録音やクローズド・サーキットのシステムの可能性、ポータパック・ビデオ映像の解像度の不足等)を構造やシンタックス表示といった概念として適合させた。

 「Camera, Monitor, Frame」(1976)は、1と記されたビデオ・カメラ、2と記されたビデオ・カメラ、空白の画像、飯村隆彦自身、の4つのパターンのショットで構成されている。そしてカメラ1と2のショットは"This is a camera"という声を伴い、空白の画像は"This is not a camera"を、飯村のショットは"I am Takahiko Iimura"を伴っている。これらのコメントを伴ったショットの順列は、ビデオにおける生成するシンタックスを作り、それらの文の否定形がもう一つの順列を加えている。こうした空白の画像は、"not a camera"だけでなく"not Takahiko Iimura"でもあるようになる。クロズード・サーキットのシンタックスの生成は、飯村がカメラ1の背後に位置し、"I am a camera"と宣言して帰結する。「Camera, Monitor, Frame」は構造の観点から言語の語法を扱った シリーズ作品の一作である。飯村はこう記している。「私が制作したビデオ作品『Observer/Observed』(1975〜1976)シリーズは、"I see you"の基本的なパターンから発展したものである。そしてその変形であり、より複雑な文として"I see you (who is) shooting me" (私は私を撮影するあなたを見る)と"I see myself (who is) shooting you" (私はあなたを撮影する私自身を見る)がある。これらの複合文は、二台の向き合うカメラと、それらを互いにフィード・バックした二台のモニターによって設定された。したがって、文章の正確なトランスファーが可能であり、文章は、誰が誰に対して撮影しているかの映像によって、切り替えすることが可能であった」2 ビデオにおけるフィード・バックの可能性は絶えず強調されている。これはビデオの持つ特徴の一つであり、飯村はビデオとフィルムの違いを注意深く識別しているのである。

 飯村の初期のビデオ・インスタレーションの多くは、ビデオ特有の表現による知覚と言語の一致に関する彼の興味を示していた。「I=YOU=HE/SHE」(1979)もその一つであり。クローズド・サーキット・システムの中に一人の観察者を捉えたこの作品は、それによってその人物の正面、側面、背面とが三つのモニターにそれぞれ継承して映しだされる。ジョーン・ハンハートは「飯村は「『I=YOU=HE/SHE』で言語と知覚者を興味の中心に捉えている。このビデオ・インスタレーションは、ライブ・イメージとそのプレゼンテーションの遅延、そして観察者とメディアとの、ディスコースとしての完成を扱っている。結局は自分自身とのダイアローグであり、そこではモニターは観察者にとっての鏡となる。時間と空間の膨張、つまり現実とつながりながら記録されている時間が、展示スペースの観察者によって占有された時空間への言及となっている。」3 コンテは、3台のカメラ(正面、背面、側面を撮る)と3台のモニター(それぞれの映像に切り替えられるスウイチャーを伴って)によって得られる可能性に準じてあらかじめ決められている。インスタレーションの中心の椅子に座っている観察者の初めの状態から発展するコンテは、飯村のインスタレーションが常に持っている自己言及的特質を反映している。

 TVに興味を向けたことから1980年代の飯村のインスタレーションの中で最も面白い作品の一つは「TV FOR TV」(「TV・Confrontation」を改題)(1983)であった。ここでは異なったTV局に合わせられた二つのモニターが互いに向かい合って据えられている。コマーシャルなメディア文化の不協和音を飯村が指摘することのできたこの単純性は、刺激的で面白い。ビデオ作品「Self-Introduction」(1982) では、飯村が自分自身にインタビューしているテープをセットした2台のカメラを用いた。回転椅子を使用して、彼が左右に向きを変えることで、二台の映像は鏡像的効果をもつ結果となった。パースペクティブが左右に揺れるとき、飯村は有名人のインタビューという典型的なコマーショル形式を用いた。そして無表情のアイロニーでこの形式の転覆を引き起こすのである。

 飯村のビデオ作品の多くは概念的でありしばしば言語の可能性に焦点を当ててもいるが、「New York Hotsprings」(1984)のようにイメージ豊かで瞑想的なものもある。このビデオ作品は、異なった時刻に異なった10ヶ所で撮影された10映像で構成され、マンホールから湧き上がる蒸気によって変形されたかのような街路を見せる。

 風景に対する凝視の姿勢は「Moments at the Rock」(1984)に見られ、ここでは異なった位置からの光景が結び付けられて、自然のオブジェによる複合絵画になっている。見ることのパラドックスが、凝視によるオブジェの定義を難しくしている。風景とは異なった岩を如何にしてみることかという事がこのビデオ作品のテーマである。かつてルネ・マグリットは「これはパイプではない」で、パイプの精密画に対し、これはパイプではなくパイプを描いた絵である、という有名なパラドックスを描いた。同様にビデオ作品の「DoublePortrait」(1973〜87)でも,飯村隆彦と飯村昭子が "I am Taka Iimura""I am Akiko Iimura"と自己確認した後に、"I am not Taka Iimura" "Iam not Akiko Iimura"と否定する。しかし、この否定は自己確認の無効化ではなく、むしろ存在自体に疑問を唱えているのだ。観客が目にしているのは"I am Taka Iimura"と宣言している実際の飯村隆彦ではない。ビデオ・メディアはその即時的記録性の上に成り立っているが、この単純かつ効果的な方法で飯村は映像メディアのイリュージョニズムを看破している。

 飯村の作品の魅力として、簡潔さと無駄のなさが挙げられる。作品は誇張されることなく、提起される問題は、至って自然である。「TV FOR TV」における2台のテレビジョン間の討論は、余りにも適切だったためにインスタレーションの趣意が不自然に思われることがなかった。 つまり日々の生活において家具の色合を帯びたメディアの性質をほのめかしながら、過剰のメディア状況を観客は明瞭に経験するのである。飯村の作品の特色を示す抽象性は、しばしば文学的であるが、それは特定の概念の現実化から生じている。これらの概念は、もっとも魅力的なエンターテイメントの力を持つことができる。なぜなら作品の物語の可能性は、しばしば観客のアクティブな参加から引き出されるからである。これは、「I=YOU=HE/SHE」のようなインスタレーションに明らかである。「観客が作品を生き返らせる。観客が参加することを選ぶ。観客が自分自身についてどのように見聞きするか、それを組織化することによって順序を決める。そして3台のどのモニターを正面にするか、またその時間も選ぶが、その一方でモニターが自動的に正面から側面、背面の映像へと変化する。同じようにして、3台のヘッドフォンから選ぶが、繰り返し聞こえてくる声は、"I am," "you are," "he is, she is."のどれかである。自己は視覚と聴覚を通して同時に知覚され、両者の視点の変化が続き様々なコンビネーションが相互に浸透して、その過程の中で自ら下した決定によって作り出された視覚と言葉のタイミングと選択を通して自意識が拡張されていく。」4  観客との結び付きはロング・アイランドのP.S.1で行われたビデオ・インスタレーションを記録したビデオで見ることができる。観客は単純は数種類の文を述べている飯村の映像と対峙している。その文を理解しようとする事で、観客は次にどの文が来るかを聴く緊張に徐々に圧倒されるようになる。このように、飯村の作品はフィルムであれビデオであれ、条件法の時制とでも呼ばれそうなものと、しばしば関係している。直接的参加は認識の テーマを全面に押し出す。しかしながら飯村の作品に禁止されているものは何もない。イギリスの映画作家マルコム・レ・グライスはかつて飯村の作品について、もっとも単純は方法を用いながらすばらしく優雅なコンセプトを内包していると述べた。飯村の作品の複雑性を定義するものは、まさにこの優雅さである。

 飯村の考えは、論理的結論を得ようと試みる、パラドキシカルな方法に、端を発している場合がある。彼のビデオ作品の哲学的な傾向は明白である。作品にインスピレーションを与えた一人として、ジャック・デリダを彼は挙げている事にも明らかである。インスパイアされただけでなく、「Talking to Myself:Phenomenological Operation」(1978)では直接に引用して作品を作っている。飯村のビデオ作品の目的は、時間と空間の実際の状態に対する、現象学的認識を得る事であった。見られ続けているというまさにその状況に観客を対面させる事によって、飯村隆彦のビデオ作品は、認識する事の純粋な快楽を提供するのである。見る事、聞く事という現象学的状態であるアクティブな凝視の思考を取り入れる事で、飯村のビデオ作品は、ビデオ制作過程の物質性と観客との考察から離れて我々が生きているこの空間に対する凝視へと移っていった。もっとも厳格なときでさえ、飯村はまさに存在という事実のパラドックスを暴き出す事に、専心し続けている。出発点として言語を用いながら、飯村は言語を越えたところまで到達し、我々の住むこの世界の現象を識別しようとしているのである。 top 
(富田美香訳)


1 飯村隆彦「日本語の構造と視覚性」, Art&Cinema, December, 1978
2  飯村隆彦「ビデオの記号学」, 朝日新聞東京版, 1976年11月13日
3 John G. Hanhard, "Shigeko Kubota & Taka Iimura: New Video", Catalog, The Whitney Museum of American Art, 1979
4  Barbara Cavaliere, "Concepts in Performance," The Soho Weekly News,New York, June 28, 1979
(「飯村隆彦 フィルムとビデオ」, アンソロジー・フィルム・アーカイブス、ニューヨーク、1990)