Ai (Love)



1962, R.8ミリ/16ミリ(ブロー・アップ), モノクロ, 音楽:オノ・ヨーコ.

English


「私はブラッセルの国際実験映画祭や、カンヌやその他で、日本のアバンギャルド映画をいくつか見たが、飯村のLoveは美しさとオリジナリティと、ありきたりのニセのシュール・レアリズムの映像ではない映画詩において際立っている。もっとも近い比較はジャック・スミスの「燃え上がる生物」か、スタン・ブラッケイジの「Loving」であろう。詩的で、肉体の感覚的な冒険であり・・・流れるようで、直載であり、美しい。」
ジョナス・メカス (「フィルム・カルチャー」, 1966, ニューヨーク)




「彼のもっとも成功した愛の儀式、つまり『Love』は、人体へのクロズ・アップにより方向を見失うにもかかわらず、物語的流れがある。『Love』は、暖かく、美しく、美学的に目覚めているフィルムだ。足の指、舌、ひざ、耳の中の乳房、尻の穴、性器、割れ目、ひだなどで、互いの穴を探る2人のクローズ・アップ により作られている。・・・私が今までに見たフィルムで、 ウィリアド・マスの『身体の地図』が、唯一『Love』のようなものだが、『地図』は冷たい人体のメカニズムの記録で、『Love』は、ふれあいと感覚を持っている」  
カール・リンダー (「フィルム・カルチャー」, 1967, ニューヨーク)



「 これは、今までに作られた最も美しく、最も内省的なフィルムのひとつだ。・・・飯村は、我々が気付いていない醜悪さを示し、一方で、同時にそれを引き受けさせる。そして、それをしばしば美にさへ変えてしまう。」
ピータ・ギダール (ARK, Spring, 1970, ロンドン)

「『Love』は、8mmと16mm、白黒、10分の飯村のフィルムで拡大レンズを用い、短い焦点距離の レンズを使っているので、恥毛、性器が新しく、しばしばそれとわからない様相を呈する。音楽はオノ・ヨーコ。 キャストは誰かわからない。」 
ドナルド.リチー (「ジャパン・タイムス」、東京)


「性交する男女の肉体は、どこが写っているのか分からないほどにクローズアップで撮られている。そのクローズアップにお互いの身体を絡ませこすり合うやや早回しのロングショットが併置される。この作品が強調しているのは人間の器官が本質的に生物学的性質をもっているということである。また形式的な意味から『Love』が面白いのは、部分的に8ミリで撮られ16ミリにブローアップして作られた劇的な白黒のコントラストと、オノ・ヨーコによるサウンドトラックである。それは断続して聞こえる様々な音とホワイトノイズを思わせる"シューッ"という音から成り立っている(ヨーコはマイクを窓の外に出してこのサウンドを拾った。)」 
スコット・マクドナルド (「アフター・イメージ」1978, 4)


 「カメラは愛人たちの間をなめ廻り、ひとつの電光の下で、からだがギラギラと輝いていく。飯村隆彦の『AI (LOVE)』(1963年)は探究の狂乱であり- 手が髪をつかみ、指が唇をなめ、皮膚が衝突する。ざらざらして、はっきりとは分からないクローズアップで飯村は、情熱と明晰さの双方で、からみ合ったからだを映画化する。AIは日本の映画作家の生涯にわたる関心をカプセルに包んでいる。 - 形態の愛、対象の部分への解体、アーティスト、対象、観客の間のコミュニケーション。」
カール・セーンライン (「ヴィレッジ・ボイス」1990, 3.27)


「私が初めて飯村のフィルム『Love』を見たのは、1962年東京だった。その詩的で感覚的で、さらに実験的なフィルムの演出に大変心を動かされ、それに音を作った。」
オノ・ヨーコ, 1996